モスクワ音楽院創設とロシアピアニズム

モスクワ音楽院は1866年にロシアで2校目の音楽院として
ニコライ・ルービンシュタインにより創設されました。
初期にチャイコフスキーが教鞭を執っていた事から、正式名称を
チャイコフスキー記念モスクワ国立音楽院と言い、音楽院前には
彼の銅像があります(左上画像)。

当時のロシアはヨーロッパの辺境
(地理的には現在もですが)。 音楽分野もまだ発展途上でした。
そのロシアピアノ界が世界有数のレヴェルになったのは、 20世紀前半の偉大な教授達の功績が大きいと言えるでしょう。

※ピアノに限って書きます。右は
  歴代の金メダル受賞者名。

日本では「ロシアピアニズムの元はネイガウス」と思われる事が
多いようです。間違いではありませんが、当時ネイガウス以外にも
同じくらい素晴らしい教授が数人いて、彼らをロシアピアニズムの
元と考えるのがロシアでは一般的です。
彼ら、ゲンリヒ・ネイガウス、ゴリデンヴェイゼル、イグムノフ、
ニコラーエフを4大流派と捉える事が多く、この中でニコラーエフだけが
ペテルブルク音楽院教授、他はモスクワ音楽院の教授でした。

彼らの門下の中で優秀な弟子が助手として教授の下で教え、
その後准教授、教授へと昇進するという事が何代も繰り返されています。
音楽院の教員はほぼ全員が母校出身者で、どの系統かすぐに辿れます。

ソ連時代の音楽院

「音楽の都」と言うとウィーンを想像する方が多いのでは
ないでしょうか?音楽界と国の繁栄は密接に結びついています。
ハプスブルク家が勢力を誇った頃、ウィーンはヨーロッパ中から
音楽家の集まる街としても栄えました。現在も多くの演奏会や
作曲家の博物館からその片鱗を伺えます。

第1次世界大戦後、つまりソ連成立後、国としての存在感を
増してきたのと同時に、音楽界でもソ連勢の活躍が目立ってきます。
1927年第1回ショパンコンクールでオボーリン(イグムノフ門下)が第1位。
1938年第2回(ピアノ部門としては初めての開催)のイザイコンクール
(現エリザベートコンクール)でギレリス(ネイガウス門下)が第1位。他多数。

また、子どもの頃から一貫して良い指導を受ける事を重要視し、
モスクワ音楽院に附属中央音楽学校が設置されました。
この学校の生徒は小中学校・高校へ通わず、中央音楽学校で
専攻実技も音楽科目も一般科目も学びます。
日本の音大附属中・高との一番の違いは、「中学校」や
「高校」ではなくエリート養成機関だという事。途中で何度も
ふるいにかけられます。モスクワ音楽院の教員もロシア人学生も
この中央音楽学校出身者が多数を占めています。

第2次世界大戦後、世界は東西に分かれ対立が深まりました。
東側の代表ソ連は、西側の代表アメリカに全ての分野で勝ち、
社会主義が資本主義より優れていると証明しようとしたのでした。
音楽も例外ではなく、採算度外視で予算がつぎ込まれました。
その一方、国の意向に沿った曲を書かないと批判されたり、国に
協力しないと未来を潰されたり、負の面もありましたが…。
コンクールの際には事前に国内予選を行い、選ばれた参加者には
国が至れり尽くせり世話をし、その多くが期待に応えたのでした。
政府は外国のコンクールで優勝するだけでは満足しなかったのか、
モスクワで大規模なコンクールを開く事を決定します。

チャイコフスキーコンクール

そのコンクール、第1回チャイコフスキーコンクールが1958年に、
ギレリス、リヒテル、ネイガウス、マルグリット・ロンなど錚々たる
審査員の下開催されました。
そこでは当然ロシア人が優勝するものと思われていましたが、
蓋を開けてみると、よりによってアメリカのクライバーンが優勝。
ロシア勢はヴラセンコ(フリエール門下)の2位が最高でした。

アメリカ人と言ってもクライバーンの師ロジーナ・レヴィンは
モスクワ音楽院を卒業し、後に渡米してジュリアード音楽院で
教鞭を執った方ですから(中村紘子さんも師事)、クライバーンは
モスクワ音楽院の系譜にあるアメリカ人ピアニストと言えます。

チャイコフスキーコンクールは現在まで14回開かれており、
そのうち11回はロシア人が第1位あるいは最高位、と当初の目的を
果たしています。ソ連崩壊後は国威発揚という意味合いは
薄れていますが、このコンクールはロシア人にとって特別です。

 第14回(2011年)のプログラム

現在の音楽院

現在、ピアノ科は4つに分けられています。
それぞれの代表は、ゴルノスタエヴァ(ネイガウス門下)、
メルジャーノフ(フェインベルク門下)、ヴァスクレセンスキー
(オボーリン門下)、ドレンスキー(ギンズブルク門下)の4教授です。
そこに他の教員が属しています。

又、教員ではありませんが、ギンズブルクのお嬢さん(今はご高齢)
エリザベータさんは室内楽・伴奏を得意とする現役ピアニストです。
ピアノを自在に操った活きの良い演奏を、音楽院のホールでの
演奏会で聴く事が出来ます。

※学外者は原則、内部見学や聴講は出来ません。小ホールでの
   コンサートの際に玄関・階段・学食へは入ることが出来ます。

モスクワ音楽院へ留学をお考えの方

ソ連時代、モスクワ音楽院への留学は、国家間の交換留学などの
機会に限られていましたが、ソ連崩壊後は他の国の音楽院のように
外国人を受け入れるようになりました。
ただ、制度は変わっても人間はなかなか変わるものではありません。
しかし、恩師との出会いや芸術分野全般の水準の高さを思えば、
私はロシアを留学先に選んで本当に良かったと思っています。

まずは音楽院主催の講習を受講して、ロシアが自分に合うか
試してみる事をお勧めします。講習は夏と冬に行われ、学生寮に
宿泊出来ます。
あるいは、旅行会社のフリーツアーを利用し、プライベートで
レッスンを受講することも出来ます(教授への紹介・通訳の手配可能です)。

入試は時期・課題ともに流動的です。留学をご希望の方へは
音楽院側と直接コンタクトを取り、留学対策に特化したレッスンを致します。

寮生活

音楽院の学生は徒歩35分ほどの所にある寮に住めます。
10畳ほどの2人部屋が基本、トイレ・シャワー・キッチンは
共同というプライバシーのない建物に数百人が暮らしています。
ピアノはアップライトが各部屋に置いてあり、地下練習室の
グランドピアノは朝に並んで予約します。全部の音が鳴るピアノは
数えるほどしかありません。
日本人留学生の、寮に住む人とアパートを借りる人の割合は
半々くらいでした(私は寮でした)。

住環境としては良くありませんが、音楽をする人達に囲まれて
生活出来るプラスの面もあります。時々改修をしては、また
どこかが故障して…と常にいたちごっこのような状態です。

 改修前の洗面所
 改修後(しかしよく詰まる)

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